とほほのHTML、コリス、WEBクリエイターBOX、WWW WATCHなどなど。毎日のようにはてなのテクノロジータブや開発者のBlogのFeedをチェックしては、新しいタグやプロパティに目を輝かせていた。あの頃のWebは、もっと手触り感があって、泥臭くて、最高に面白かった。
置いていかれないように、必死だった。参考書には月に1万円以上つぎ込んでいたと思う。「まだ〇〇使ってるの?」なんて煽りを見るたびに心臓がキュッとして、新しい技術が出れば公式ドキュメントに首まで浸かり、ローカル環境で朝まで検証する。そんな、技術への渇望だけで走り抜けるような日々。
0からサイトを組み上げる達成感もあれば、誰かが作ったカオスなCSSと格闘する絶望感もあった。数えきれないほどの技術が現れては、流行の終わりとともに静かに消えていった。
流行りと廃りの繰り返し
振り返ってみれば、ネットの世界はいつだって煽りと消費の繰り返しだ。最近では20XX年のベストバイといった、AIで量産された中身のない記事が溢れかえり、良記事もあるけど、何が真実なのかを見極めるのが難しくなってきた。
結局、自分の手で事実を拾い上げるしかない。リアルタイム検索とAI要約により、ソースを明記した上で情報を提供してくれる Perplexity を使う機会が増えた。結局...皮肉にもAI。手放せない。効率はいいけれど、かつて技術ブログの海を漂いながら見つけた、あの個人の熱量が宿る文章が恋しくなるときがある。
200以上のサイト、そのほとんどは
これまで手を動かしてきたサイトの数は、大小合わせれば200は超えている。けれど、愕然とするのはその生存率。僕が手掛けたそのほとんどはリニューアルで跡形もなくなったり、サービス自体が閉鎖されたりして、もうこの世には存在しない。
自分が心血を注いで作ってきたものが、どこにも残っていない。
結局、デジタルデータだ。波が来れば消える。スマホゲームも、丹精込めたポートフォリオも、誰かの執念が詰まった古いWordPressサイトも。コンサルが語る戦略も、長い会議の記録も、「弊社で更新するのでCMS導入お願いします!!!」から微塵も更新されないまま放置されたトップページも、すべてはデジタルの渦に溶けていく。
でも、ふと思う。消えてしまったサイトたちのデータは残っていなくても、それを作った自分の中には、確かな何かが蓄積されているものだなと。
ものにこだわらなくなったのも、きっとこのデジタルデータの儚さを骨の髄まで知ってしまったからだと思う。目に見える形では残らないけれど、今の自分を構成する血肉にはなっている。そう思うと、200の屍を越えてきた日々も、まぁ...悪くはないかもしれない。
